本を出してきた。

分厚い。

子の年を挟んで前後十年。二十年間と言う事らしい。私、十年かと思ってた。

神示自体の本は持っていない。解釈本や、その訳者と船井さんの対談本。合わせて三冊もある。対談本が分厚い。

どの子の年か、ずっと疑問だった。子の年前後十年と言えば、殆どの年やし、ずっこい予言やわとおもてた。

その子の年が、ズバリキタ━(゚∀゚)━!のが、去年やったんやね。

こんな軽口叩いてたら、見捨てられるわ。失礼しました。

日月さんを思い出したのは、567で、あーミロクかと思った去年の夏かな。

ミロクとかヒフミとか、そんなのだけは覚えていた。後、子の年を挟んでと言うのと。

ちゃんと読み直してみよう。難しいねん、なんか。対談本がとっつきやすいかな。

神示は今にぴったりと当てはまるらしい。大本?わからん。私は浄土真宗門徒だけで、父ちゃんとこは真言やし、ありきたりな日本人として、さして宗教に拘りは持っていない。神社の前では頭を下げ、お寺の前でも頭を下げ、お地蔵さんに頭を下げするだけの浅い人。

とにかく、自分で考えて動かないといけない時代になった。直感で動いてもいかんらしい。さっきちらっと読んだ。なんとなくわかる。でも第六感は大事にしておくよ。

雪崩を打つように事が動いてもあかんと思う。だってこれだけ時代が進んでいるのだから、大東亜戦争の時のようなままではまたアウトやん。いい加減気づいてと思う。いろんな事を知ったり発信できたりするのだから。切られたら知らんけど。止められるものは止めなきゃ。

年齢的にも、それは本当は元気でいられるのなら、もっと世の中見ていたいけれど、何が起きても受け止める覚悟だけは持っておかないといけないと思うようになった。ジタバタせずに。するやろうけど、出来る事はやる。

私は良い時代を過ごさせてもらった。それが現在へ繋がる道であった事は誤りも多かったという事やね。

日月さんを読んで、自己を顧みよ。

最後まで何があっても、自分で判断しましょう。それが後悔のない道。レジスタンスやーー( ´ ▽ ` )